【思い出のM先生1】俺、昔は相当なワルだったんだよ からの続きデス。
ワル自慢と苦労話が得意のM先生だったが、受験スキルは講師業一年生のボクから見ても酷いものだった。
彼の担当科目は現国だったが、「遵守」を「そんしゅ」と読んだり「准教授」を「すいきょうじゅ」と読んでいたし、「押っ取り刀で駆けつける」を「のんびり行く」とか「ゆっくり向かう」などと説明していた。
「押っ取り刀で」は「取るものも取りあえず急いで」という意味。どれも受験国語では頻出の急所であり、講師であれば知らないでは済まない。もちろん普段の生活では必要ありませんが。
それでも彼はその予備校で幅を利かせていた。
理由は生徒たちから絶大な人気があったから。
M先生の講義には他のクラスからも立ち見の生徒が来て収容人数100人の教室が超満になるほどだったし、季節ごとの講習会は申し込み初日で席が埋まるほどの人気だったんだ。
ボクは(講師研修の一環として)何度かM先生の講義を受けたが、その講義は半分以上が受験とは関係のない雑談で、そのほとんどが居酒屋でボクにしていたワル自慢や苦労話を交えた説教トークだった。
しかも、相手が10代の子供ということもあってか居酒屋でのトークより更にヒートアップしていたと思う。
面食らった。まるで変な新興宗教やSF商法の会場に来たのかと思ったよ。
普通の人があんな芝居がかった説教をされたら呆れるか怒り出すだろうが、生徒たちの反応を見るとスッカリM先生に魅入られてたんだな。
まるで宗教の教祖様と信者そのもの。
生徒たちにとっては受験勉強そのものより、退屈な受験生活に刺激を与えてくれる教祖様のはっちゃけトークの方がおもしろいのだ。
「入試に即した実用的な講義を行うのが予備校」 そう思っていたボクの考えはトンデモナイ勘違いで、実際は受験云々は二の次でお笑い芸人や人気タレントが深夜にやるラジオトークが生徒にはウケるのだ
中でも説教トークは大人気で、未成熟な10代特有の「叱ってほしい、律してほしい」という甘ったれた気持ちとM先生の説教トークが相まって絶妙な共依存関係を作り出す。
そして、その歪んだハーモニーを・・・あ、ゴメン、ゴメン、ついまた屁理屈が出ちゃったよ。笑
まあ、なんだ、こんな具合にボクの講師生活が始まったわけなんだけど、あの業界では本当にいろいろな奇人・変人の先生たちと出会って来たんで、これから折を見て書いていく予定です。
じゃ。
コメント
エリトさん
お疲れ様です。
塾は経営陣もやばいのいますからね。
応募書類で、親族の職業聞いてきた会社もありますし。
また連絡してごめんなさい。
ブラック企業の洗脳て在籍中は気づかないすからね。
ブラックな公務員やってましたが、その時のやばい上司の洗脳が解けたというかやばいって気付いたの辞めて4年たった最近ですし。
ブラック企業から脱出できて良かったですよ。
中に居ると洗脳されてしまって正常な判断ができなくなりますからね。
これからの人生はホワイトで行きましょう!
前回から始まったこのM先生シリーズおもしろいw
あざっす!
M先生だけでなく他にもおもしろい先生ネタがあるので期待しててくださいね。
いますね、自分語りをする講師。
私の通ってた予備校にも、ひたすら自分の思想を話す講師、自分の人生を語る講師、歌を歌いだす講師とかいましたよ。
あと予備校講師って、過○派崩れが多くないですか?
私が通ってた大学の助教授は、「ああ、そういうのは予備校止まり」と言ってました。
「止まり」って・・・。
そういえば金ピカ先生が死にましたね。
あの人も予備校ビジネスの成功者でしたねー。
金ピカ先生、うわー懐かしい!
訃報があったのが確か去年ですかね。
最期は生活保護だったとか報道されてたけど・・・
ヤクザファッションに木刀を持った授業、選挙への出馬、高級車コレクション、破天荒な方だったみたいですね。
残念ながらボクは佐藤先生の講義は受けたことがないのですが、きっと魅力のある話しぶりだったんでしょうねえ。
過〇派の講師と言えば駿台の山本義隆氏を思い出します。
山本先生の講義は浪人時に東京の市ヶ谷校舎で受けてたんですが、物静かな方でとても全共闘の委員長だったとは思えませんでした。
記事では予備校講師を揶揄してますが、実はボクの心の中には彼ら名物講師たちへの思慕の情がいっぱいあるんです。
どこかでその思いを記事に書こうかな。
エリトさん返信ありがとうございます。
公務員時代は、エリトさんの旧ブログの体育会について書かれた内容に似たとこが職場にありましたね。
今は公務員時代より給料下がりましたがまともなとこにいますよ
昔の予備校って個性のある先生が多かった気がします(良くも悪くも)
そこらの思い出記事も期待してますよ。