ツイッターを眺めてたら、こんなつぶやきが目に入った。
昭和40年代半ばから後半。うちもそうだったけど庶民は長屋やアパート住まいが多かった。団地はワンランク上の人たち。その上は一戸建ての金持ち。うちは2Kアパートでちゃぶ台の暮らし。そして公園の敷地内や学校の敷地内に、勝手にバラックを建て住んでたトンデモ家族も存在したw
— 懐かしい昭和時代 (@natsukashi__) April 21, 2021
昭和の風俗をツイートしているアカウントで、自分的には懐かしさから共感することが多い。上のツイートも自分的には「うんうん」となった。
確かに子供の頃(昭和40~50年代)って、長屋とか普通にあったもんなあ。アパートって言っても『アルカトラズからの脱出』に出てくるような刑務所みたいなのが多かった。
一戸建てに住んでる子なんて、ワンランク上の家庭って感じだったもん。
ウチは一応一戸建てではあったけど借家でね、ダーーと同じような造りの家が並んだ中の一つだったよ。(つまり一戸建ての長屋版みたなもん)
上の序列で言うと、アパートよりは上だけど本当の一戸建て(借家じゃなく持ち家)よりは下って感じだった。
当時は橋の下や広い公園には乞食が居てね、小屋みたいなのを作って生活してたよ。小学生の頃に友達と一緒に彼らの(住処の)近くに行って「乞食見学」とかしてたなあ。
そういえば大阪梅田の地下にも居たよ、乞食。駅の改札口付近に段ボールや新聞紙を敷いて寝てた。
周りを大勢の人が通っていくのに我関せずって感じで寝てたのが印象的だった。
今では梅田はもちろん橋の下にも公園にも居なくなった彼らだけど、一体どこに消えたんだろう。
世の中が良くなって乞食が居なくなったなんてことはあり得ないから、どこかに居るんだろうけど、一体どこに行ったんだろうか…
長屋や乞食だけじゃない。子供の頃には当たり前にあったものが今は見られなくなってる。
時代が変わったんだと言えばそれまでだけど、何とも言えない寂しさを感じるよ。
ヒヨコ売りの怪しいおじさん、釣銭を誤魔化す駄菓子屋、路地裏のエロ本販売機etc…どれもが懐かしい。
タイムマシンでもう一回、昭和の時代に戻ってみたいな。
そんな風に昔を懐かしんでたら、深夜ラジオでお笑いタレントが言ってたのを思い出した。
「そんなに昔の方がエエ言うんやったら、原始時代に戻ったらエエやんか。車もテレビもエアコンも何も無いんやで。薬屋も病院もないから風邪でも死ぬで」
いやはや全くその通り。度が過ぎた回顧主義には痛い指摘だ。
インターネットもなくニートや引きこもりなんて存在自体認められなかった昭和だったら、自分みたいな人間は真っ先にアウトだろう。
おそらく隣近所の噂の的にされて家には居られなくなり、日雇いなどを転々とし、最後にはどっかの公園か橋の下あたりで段ボールにくるまってたと思う。
ネットがあり、ニートや引きこもりが容認されている現代だから、ボクみたいな片輪者でもやって行けるんだ。
太陽が沈む頃に起きて、夜な夜なPCからネットの中へ入り、朝までガサゴソやってる毎日。
梅田駅でネクタイを締めた人々に背を向けて寝ていた彼らのように、ボクは昼間の人々に背を向けてネットの世界を徘徊してる。
ひょっとしたら、ボクは現代の乞食なのかも知れない。
コメント
いきなりのシリアスな正統派エッセーw
どしたんですか?
たまにはカッコつけてみたんです(笑)
かも知れない、ではなくて乞食そのものだよ
自分でも乞食リストって言ってるしw
そんなに追い詰めんでくださいなw
首くくりますよ?
昭和の時代は味がありましたね。
河川敷や山の中に落ちてるエロ本とか。
酒屋の横に置いてあるエロ本自販機とか。
小学校の帰り道にいる怪しい販売員のオジサンとか。
ああいうのって成長期に必須のものだと思ってたけど、今は健全化されすぎてて味もクソもありませんね。
乞食のおっさん達ってどこに行ってしまったんでしょうね・・・。
そう正にそれ! 健全化され過ぎてるんですよね、今って。
道端に落ちてるエロ本とかわけの分からない怪しいオジサンといった「雑味」があった方が、子供の成長には良い肥料になる気がするんですよね。
世の中が純化されて陽の当たった健全な場所だけになってしまうより、薄暗い路地裏も残っていた方が人間にとっては住みやすいと思うんですけどねえ…
税金払え
お、おう!
お久しぶりです。
エリトさんドライブ趣味ですから、運転の技量もあるでしょうし、塾講師もながくされてたようですから、営業とか運送とかで普通にいけそうな気がするんですがね。
いやー、営業や運送方面は自分では無理ですよー
気力体力が欠けてますから笑