ここ最近ちょっと鬱気味でダウナー系のことばかり考えてました。
中でも死ぬことについて考えることが多かったなあ。
考えると言っても大したことじゃなくて、「自分は何歳ぐらいで死ぬのかなあ」とか「死ぬときの原因て何だろうなあ」といった他愛無いことばかり。(鬱期にはよくこういう考えが浮かんでくる)
そんな鬱瞑想(迷走)をしていたら、自分なんて大した人生なんかやってないわけだし、結婚もしてないから別に世の中から消えたって誰が困るわけでもないんだってことに今更ながら気がついたよ。
ちょっと切なかったけど、同時に楽にもなったな。「ああ、自分ていつ死んでもいいんだ」って。
これが結婚して奥さん・子供が居て、マンションのローンなんか背負ってたら死ぬに死ねないし、そもそもこんなお気楽引きニート暮らしなんかできるわけがない。
それを思ったら人生の選択肢が一つ増えたって感じで気持ちが楽になった。
でも、いざ死ぬとなったらやっぱり不安や怖さが湧いて来る。
死そのものにではなくて死ぬ時の苦痛とか、もしも死に損ねて不自由な身体になったらどうしよう、みたいな不安。
太宰治が何かの作品中で「死ぬ時の苦痛や片輪(障碍者)になって生き残るのが嫌なだけで、死ぬこと自体は怖くはない」みたいなことを書いてたけど、それと同じ。
つまり苦痛が無くて確実に死ねるんなら、死んでもいいかなって思う。
太宰治のWikipedia
そこで「じゃ、どんな死に方が苦痛なく確実に死ねるんだろう」と調べ始めていたら…本棚に鶴見済さんの『完全自殺マニュアル』があるのに気がついた。
そういえば以前にも同じことを考えたことがあってこの本を買ったんだったわ。いやー、人間考えることは何年経っても同じなんですね。笑
当時も楽で確実な死に方を探してこの本を読んでたんだけど、読んでるうちに「ああ、いざとなったら何とかなりそうだな」って気になって、気持ちが収まったのを覚えてる。
「最後には死ねばいいや」って覚悟が(100%ではないにしろ)できるようになると、自然と気持ちが楽になって世事の嫌なことが気にならなくなるんだよね。
二進も三進も行かなくなってしまったら、暁美ほむらみたいに時間をリセットすればいいや、みたいな感じ。
暁美ほむらのWikipedia
発売当時はマスコミから大バッシングを受けてた本だけど、ボクはそんなに悪書だとは思えなかったんだよね。
まだ思考が弱い子供にはやや刺激が強すぎるかも知れないけど、こういうことって人生の知識の一つとして身に着けておいた方が良いんじゃないかって思った。(今もそう思ってる)
ワイドショーなんかで落ち目の芸能人や文化人たちが「生きてれば必ず良いことがある」とか「死んだら負けだぞ」みたいなことをシタリ顔で言ってるのよりも、この本の方がよっぽど為になるんじゃないかなあ。
学校や会社でイジメられてるとか、病気や家族、経済的な問題で人生がどうにもならなくなってる人に「生き続けろ」って言うのは、「このまま苦しみ続けなさい」ってのと同じだと思うんよね。
身近な友達が親身から「死んじゃダメだ」っていうのはわかるけど、芸能人や文化人のそれは自分をよく見せんが為のパフォーマンス(宣伝)だもんな。
中には「自殺に逃げるなんて卑怯だ!」とか「あとに残された人の気持ちを考えろ!」とか言う輩もいるけど、そんなのお前に言われたくないって思うわ。
TVで偉そうに説教垂れるだけで何も手助けしないくせにって、本当に腹が立つ。
どうせ昼のワイドショーが終わったら次は夜の番組に行って、『特集! パパ活最前線 可愛いパパ活女子との出会い方、誘い方、相場、すべて見せます教えます』とかのコーナーでヘラヘラやってんだろう。
そんな文化人たちをだなあ…あ、ごめんごめん、また悪い癖が出ちゃった。
つい自分も文化人気取りで社会派みたいなこと言っちゃうんですよね、すいません。
ま、あれですよ、人生って嫌なことが多いし、場合によったら自殺だって選択肢の一つに持っておいた方が気持ちが楽になりますよってことを言いたかったんです。
ながながと何の為にもならない暗い話におつきあいくださって、ありがとうございました。
コメント
ちゃっかりnoindexとアドセンス非表示が草
でへへ、そんなとこ見ないでくださいよ(笑)